願わくば花の下にて春死なむ~この和歌が現実のものになるとは。残された誰袖が哀れすぎる・・・べらぼう第28回「佐野世直大明神」

第28回大河べらぼう「佐野世直大明神」

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「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

西行のこの歌が現実のものになってしまいました。
佐野に切りつけられ、命をなくす意知(宮沢氷魚さん)。

葬列が江戸市中を進む際、誰かが石を投げると、
それに呼応するように次々と石が投げられます。
また、乞食を見て人々の怒りは頂点に達し、
「物乞いになったのはお前たちのせいだ」
米不足も田沼のせいにされてしまいました。

ところで、佐野が意知をなきものにしてから、
不思議なことに、米が市中に出回り、
人々は、「佐野様のおかげだ」と喜びます。
そして、ついに「佐野大明神」とまで讃えられます。

石を投げられた意知と、なんという違いでしょうか。

ある意味、民衆とは気まぐれなものです。
今もそうですが、米不足が人々にあたえるダメージは大変なものがあります。

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亡くなる前、意知は、父意次〈渡辺謙さん〉に、
米を大量に江戸市中に運ぶ相談をしていました。
そのおかげで、意知の死後になって、米が大量に出回ったかもしれないのです。
でも、「そんなこと、知ったこっちゃない」のでしょう。

今回、心に残ったのは、意次の次の言葉。
「意知は私の心の中に、意志となって生きています」
 苦しみを乗り越えようとする親の心が伝わってきて、泣けました。


「生きてあいつが為したであろうことを為していく。それがおれの敵討ちだ」
 哀しみや悔しさを乗り越えていこうとする、意次の強い意志を感じました。

心配なのは違袖ですね。
瀬川の身請けでは、夫の鳥山検校が牢に入れられても、身請けが有効で、瀬川は自由の身でいられました。

ところが、違袖の場合、身請けはなかったこととされ、
再び吉原に戻されたのです。
なんて悲惨な運命なのでしょう!涙

その後、違袖がどうなったかについては一切残されていないので、想像するしかありませんが、なかなかつらい境遇だったかと思われます。

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その後も遊女として客をとらなければいけないとしたら、これほどの屈辱はありませんね。
イメージ上の、桜を見上げる違袖の姿が哀れです。

今回つらかっただけに、山東京伝(北尾政演 古川雄大さん)が面白いネタをもって駆け込んできたところがせめてもの救いでした。

東京都立図書館 「江戸生艶気蒲焼」山東京伝(北尾政演 まさのぶ画)

いよいよ、あれですかね。大人気となった「江戸生艶気蒲焼」がついに登場するのでしょうか。
これは楽しみですね。少し明るい気持ちになって次回を待ちたいと思います。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。


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