気持ちを理解してもらおうと、あいてに感情をぶつけても、ほぼ100パーセント成功しません
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

想像するに、いきなり怒りの感情を人にぶつけても、
それが良い結果になることは、ほぼありません。
私は若いころに、感情のままに気持ちを人にぶつけて友人をなくしたことがあります。それはなぜでしょう。
恐らく怒りの感情にとらわれている人は、そのとき、負のオーラをものすごく持っていて、
日常の常識の中にいる相手は
そんな恐ろしい感情を
咄嗟に受け止められないからでしょう。
ネットの世界でも、こじれにこじれて、
罵詈雑言の言い合いになっていることがあります。
ネットは無名性だからとよくいいます。
でも、それだけではないでしょう。
あえて言えば、人と人とは
感情、好み、感じ方、育ち方など
すべてがちがっていて、簡単に
理解し合うことなどできないからです。
ですので、最初に、生々しい、
自分の感情をぶつけたひとは、
その先の理解する過程を省くどころか
最短で相手の心を負の感情でいっぱいにしてしまった。
すべての面で負けたと言うことになります。
夫婦でも、長くいると、相手の欠点で
我慢できない部分がでてくるでしょう。
だからといって、今更それを
言い合ってもなんら建設的な方向には進みません。
もし頼りないなと思ったら、いばりたがり屋の
連れ合いでなくて良かったとか、
まあ、いろいろ考え方はあるわけです。
わが家を例にしているわけではありませんが・・・(__;)
ところで先日夫の会社で一緒だった方が、70代後半で亡くなられました。
そのときに、40年ほど前に亡くなった
夫の父の言葉を思い出しました。
親戚が集まった席で、父は、
「人生というのは、思った以上に短いものだ」しみじみとそう言いました。
その2か月ほどあと亡くなったのですが
すでに死期を意識していたのでしょう。
その言葉を覚えているか、と夫に聞きました。
「知らないよ」
「あ、覚えてないの」
夫はうなずきました。
「わたしはその言葉が心に残って、
いつもその言葉を頭の隅に入れて生きてきた」
といったら、夫は驚いていました。
きっと、血の繋がっていない身だから、
よけいにすーっと言葉が頭の中に
入ってきたのかも知れません。
夫婦であっても、そうまで人と人との考えはちがう。
まして、他人ならほぼ完全に
理解しあつことなんて不可能です。
人はそれぞれ、自分の頭の中に、
小宇宙をもっている。生き方、趣味、好みの傾向までを包む小宇宙なのでしょう。
そのどれか多少なりとも共鳴し合えばそれで満足するしかない。
おたがいにそこそこの妥協点を見いだすこと。
または、相手の人の素晴らしいところを見つけたら、
ただただ、それを見つめること。
よく、「新の友人なら、欠点を言ってあげるべきだ」
というような言葉を聞きますが、これは大変な間違いです。
人はだれでも長所、素晴らしいところを持っていて欠点があるとしたら、
その突出した素晴らしさのほんの
陰の部分でしかありません。無理にそれを見つめることなく、
自分にない良い部分に
日々感動して生きていけたらと思います。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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