いたいけな少女彰子の入内と道長、倫子ご夫婦の困惑。陰の功労者は行成でした
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
6月30日の光る君へ。
いよいよ折り返しですね。これからどう展開するのか。
今回の山場は、彰子の入内云々の所です。
倫子にしても、入内するものとして幼い頃から育てられたはずです。
たまたま適切な年齢の方がいなかった・・・多分、花山院がもう少し普通の方だったら倫子の入内が実現していたでしょう。
けれど、そのかわり道長の妻となり、娘たちを次々と入内させます。まるで自分ができなかったことを娘たちにさせるように。
彰子入内に行成が貢献
彰子の入内に関して帝に進言し、道長を助けたのが行成でした。このことを道長は深く恩に着ることになります。
そんな中、成人の儀式である裳着を済ませるやいなや、彰子は入内します。
まだ子どものような頼りない少女が、中宮となり国母と言われるまでになるのですから、運命の不思議を感じます。
このいたいけな娘のために道長は、教育係として和泉式部、赤染右衛門、そして紫式部など当代随一のインテリ女性たちをはべらせるのですね。
そして、そこに平安期の女流文学が花開くことになります。道長と彰子親子は、そういう面でもすごい貢献をしたことになりますね。
これほど女性たちが活躍した時代はなかったでしょう。
女郎花の歌のやり取りは自慢かも
また私は、紫式部が道長の妾だったという説を棄てきれません。
たとえば、のちに中宮彰子が出産で土御門邸に里帰りした際には、紫式部ら女房たちもついて行きます。
そのときに、早起きして庭を見ていた道長が、邸内から見ている紫式部に気づき、御簾の内に女郎花を差し入れます。
そして、早く何か歌を作って、と催促します。
早速筆でさらさらと、私は女郎花のように朝露をあびてもきれいになれませんわ・・・、と歌で返事をする紫式部。そんなことはない、まだまだ努力次第だよ、と返す道長。
紫式部日記にあるこのシーンが前々から不思議でした。
これって、「あたしはこんなに道長様に愛されてるのよ」
という、紫式部の自慢では・・・?
それをみんなに知らせたくてあんなやり取りを入れたのではないでしょうか。
また、後に日記に、倫子とのやりとりで怖いような不思議なシーンがでてきますので、後ほどまた触れたいと思います。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。