札幌高裁で、同性婚を認めないのは違憲という判決が出た。「婚姻は両性の合意のみに基づく」という憲法の文言にとらわれるな・・・との見解も。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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先日、札幌高裁で、同性婚を認めないのは違憲だという判決が出た。
え・・・!? わたしたちの国の憲法では、「婚姻は両性の合意のみに基づく」24条1項 とされているのでは・・・。

両性とは、男性と女性のことだと思うが、違うのでしょうか。
もし、同性婚を認めるなら、その前に憲法そのものを改正しなければいけないのでは・・・

さらに不思議なのは、この裁判官の方は、同性婚について、
「憲法の文言のみにとらわれず解釈すべき」
といっていること。
え、え とさらにびっくりした。わたしの目が変になったのでしょうか。               わたしたちは、否応なく憲法の言葉に従って生きているのでは・・・?

憲法の言葉によらないなら、何によったらいいのか。IGBT法といい、今回の判決といい、この歳の人間にはついて行けない不思議な世の中になったようだ。
この裁判は、同性カップルの人たちが、同性婚を国が認めないのは「憲法が保障する婚姻の自由を侵害する」として、国に損害賠償を求めていたものです。

もともと婚姻というのは子供をもつ可能性のある年齢の男女が一緒になって家庭をもつこと。という、常識のもとに行われてきたと思うのだが、違うのだろうか。

婚姻の自由ってなんだろう

婚姻の自由だから、なんでもありになったら、幼い娘を父親が金のために結婚させたり、自由なのだからいいだろう、と何人も妻を持とうとする男だって出てくるかもしれない。
そして、この判決は、LGBT法と同じように、日本の少子化をさらに加速させる気がしてならない。

これまでの社会は、家庭で子を生み育て次の世代につなぐことを一番に考えていた。だから、結婚や子育てを社会が守ってきたのだ。みんなそれを当然だと思っていた。

今起こっている様々なことを見ていると、もはや社会を将来に向けて維持しなくて良い、という方向に向かっている気がしてならない。なぜこうなってしまったのか。一寸無念な気がする。

数十年前、まだ若いころだった。職場で、
「女性も一生働いた方がいいですよね」という意味のことをいったら、上司Aさんが、
「女性は家庭に入ったほうがいい。女性には子を産むという、男性には逆立ちしたって、できないことができるんですから」
という意味のことをいっていた。
ずいぶん、頭の硬い人だなあ、とその時は思ったのだが、今はまあ、そういう見解もあるかなあと。

子をもって命の意味を考えた

今の男性はどう思ってるんだろう。
まあ、どちらでもいいけれど、やはり、子を生める女性は一人でも二人でも子を生めばいいと思う。

これまで生きてきた過去の人々、そして次の世代へと命がつながっていくのを実感できるし、きっと、自分の命も実は大事なものだったんだと気づけるだろう。


かつて「元始、女性は、太陽であった」と平塚らいてう(雷鳥)がいった。
それにはきっと、生む性である女性を大事にしろ、という意味も含まれていたに違いない。


今回の同性婚についての判決を見ていると、もはや、子を生むことはそれほど重要じゃない、男性も女性もない。生むことは女性の特権じゃないと言っているように感じる。

そして生むことを軽視する社会は、衰退へと向かっていくしかないのだろう。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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