京アニ放火事件25日に京都地裁で判決。福田恆存「私の幸福論」の言葉からも 少し考えてみました。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
2019年7月に36人が犠牲になった京都アニメーション放火殺人事件。
その判決が25日に京都地裁であって、青葉被告に死刑を言いわたされました。
争点は、責任能力のあるなし。けれど多くの人が亡くなった残酷な犯行に死刑回避の余地はなかったようです。
死刑廃止の国がほとんどのなか、文明国のすることではないとよく言われます。死刑が行われなかったのは平安時代ですが、それは祟りが怖かったから。
わたくしたち日本人は、穏やかな国民性なのに、なぜ死刑があるのか。
穏やかな国民性だから法の裁きを望む
たぶんそれは、日本人の穏やかな国民性に理由がある気がします。
わたくしたちは、何かあってもできるだけ寛大に、穏便に済まそうとします。
それだけに平和を乱すことを恐れ、そして最終的に死刑ということがあるのかと思います。
また病院の医師は、たぶん死刑になるだろう、と思いつつも、全力で治療にあたり犯人を回復させました。
それに対して、ひろゆきさんは、そのまま死なせてあげればよかったじゃないかとXでおっしゃってました。
いろんな意見があるようですが、日本は法治国家なのでやはり全力で治療し、きちんと罪を償ってもらうべきだという考えが正しいのでしょう。
36人の尊い命のことを考えると、本当に悲しくなります。
若い方や働き盛りのかた、夢を持って大好きな仕事の中で頑張っていらっしゃったかた、
そんな人々の命を奪うというのが、どういうことなのか、
心が凍っているというより、そういうことへの想像力が全くないのでしょう。
本当につらい事件でした。
福田恆存の「私の幸福論」
福田恆存氏の「私の幸福論」の中に、
「世の中にはどうにもならないことがある」と書かれています。
しかも、それはほとんど決定的な場合に現れ、
私たちは最初からこの限界を背負って出発しているのだという。
それは、いいかえれば、
「人はおのれの分を知って、生きていかねばならない」
と、いうことかもしれません。
なんて、窮屈なことばと思われるかも知れませんが、そうではなくて、
自分の良さ悪さ、特性、ぜんぶ認めて、それを背負って生きていきなさい、とそういうことだと思います。
その中で、もがき、努力つつ、自分の道を進んでいけばいいのでしょう。
もし才能が足りないと思ったら、努力して補い、がんばってみる。
あたえられものの中でじたばたしつつ、人生を見極めて、せいぜいよいものにしようと努力し幸福を見つける、それが、人が生きるということなのでしょう。
そんな中で、生きていて良かったな、と思うものがひとつでも見つかれば幸せです。
例えば、晩年を方丈の庵の中に住んだ鴨長明のように・・・。彼には人の生が、川の中に浮き沈みするあぶくのように思われた。そして小さな方丈庵の中に晩年の安らぎを見いだしたのです。
他への妬み、そねみをもち、人の人生を不幸にするなどは最低の生き方だと思います。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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