伝説の女性メリーさん。何を思いながら毎日横浜の街を歩いていたのだろう。

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こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

私はものすごい方向音痴で、例えば街の中に出て駅に向かって歩いていて、コンビニに入る中で買い物をして出てくると90度別の方向に向かって歩き出している。

変だな、駅に着かない・・・・・・。
ますます頭が混乱してくる。まるで迷路の奥へはまり込んでしまったような。これで人と約束していたりすると焦りに焦る。

そしてふと気がつくと、思いがけない場所に見覚えのある建物が顔を出している。私はまるで別の方向へ向かって歩いていたのだ。


わが娘も方向音痴で、いつか二人で新宿のバレエ用品店を探し歩いていた時のこと。
駅を出てすぐ左に折れるはずが、いくら地下道を探してもそれらしい通路がない。さんざん迷い、気がつけば紀伊國屋の先の方まで来てしまっていた。とっくに店を通り過ぎていたのだ。

なぜか親子そろって、都会では迷ってしまうタイプの人間らしい。
それでいてぶらぶら歩きが好きで裏通りに古びたカフェなどを見つけると、わくわくして一寸立ち寄ってみずにいられない。コーヒーを頼んで文庫本など広げて読んでいたいなあ、と思ったりする。

いつかそうやってぶらぶら歩いていてデパートの洗面所に入ったとき、スーッと白い人影が鏡の前を横切っていくのが見えた。フリルの付いた丈の長いスカートに顔も白粉で真っ白に塗りっいる。そして手には大きな紙袋。

ギョッとしたがすぐに、「ああ、メリーさんだ」と気がついた。振り返る間もなくその全身白の小さい姿は出入口から姿を消していた。


横浜のいろいろなところでメリーさんに出会ったという話をきく。横浜西口のデパート、桜木町、関内界隈。知り合いは県民ホール前の石段に座っているのを見かけたという。

いつか五大路子さんが、一人芝居「ヨコハマローザ」でメリーさんをモデルにした女性を演じていた。戦争の中でいろいろなものを失い、横浜の街を彷徨いヨコハマと心中するようにして生きてきたメリーさんの生涯は見ていて苦しく切なかった。

五大路子さんの演技が素晴らしかったということもあるが、メリーさんの命が横浜のまちの隅々に今も息づいているように感じられたから。

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私ももともと横浜にはよそ者、異邦人なのだが、メリーさんもそうだった。たしか西の方のどこかの町の人。けれどこの街に住みつき、晩年はまるで街と同化したようにして暮らしていた。

どのような気持ちで毎日街をさまよっていたのか。
私にはまるで真っ白な白粉がメリーさんの涙のように思える。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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