日本人は昔から良識や思いやり、相手に対する忖度で生きてきた。今はどうなのだろう
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
最近、自分の常識がおかしくなってるのかな、と思う。それとも社会がおかしいのか。
そう聞けば大体の人は、「ばあさん、もうろくしたか」と思うだろう。
日本人はだいたい昔から良識や、思いやり、相手に対する忖度とか、そんなものを暗黙の了解にして生きてきた。
そして知識人といったら賢さや博学、誠実さで日本人みんなに進むべき道を指し示す羅針盤のようなものだった。作家なら夏目漱石だ、そして森鴎外。けれど最近、その知識人が少しおかしい。
うすうす感じていたが、今日はさらにそれを、絶望的に知らされてショックを受けた。
それは、ときどきお邪魔している「言論プラットフォームアゴラ」で、作家と評論家の対談動画について次のような記事を見たからだ。
紫綬褒章を受章している小説家の島田雅彦氏が「今まで一矢報いる事が出来なかったリベラル市民として言えば… せめて暗殺が成功して良かった」と発言し、物議をかもしています。青木理氏も「笑」で答えています。
ためしに動画を見てみたが、ほんとうにそう言っている。「暗○が成功して良かったな」と。ウソでしょう、と思った。
ひと昔前なら、たとえ信条はちがってもたがいの立場を認め、たとえば相手がなくなったとしたら、それをいたみ、尊敬をもって語るのがこれまでの日本人のはずだ。
発言した作家のかたはかつて才能のあるかただなあ、文章もうまいなあと感心していただけに残念だ。きっとその著作は二度と読めないだろう。
いまの私たち日本人は同じ空間に生きながら、合わせ鏡の裏表のようにまるで別のものを見ているのかもしれない。
しかも、その亀裂はますます大きくなる一方のように思える。
なんとか少しずつでも歩み寄り、軌道修正していくことはできないものだろうか。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。