むかし男が姫君を背負って逃げる。その後につづく残酷さが切ない。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
日々、秋の深まりを感じる今日この頃。
私の住む横浜若葉台は自然が豊富、秋には見事な紅葉につつまれる。
毎年楽しみにしてるのは、近くのヤマモミジの紅葉だ。秋が深まるにつれ、色を濃くし、やがて見事な朱色に染まる。
そして紅葉と言えば思い出すのは、百人一首の中でも特に有名なあの和歌だ。
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平
紅葉を見上げていると、いつの間にかこの和歌を唱えている。
口に乗せれば楽しい。紅葉葉が水に浮かんで流れる情景が目に浮かんでくるのもいい。それだけにみんなに愛されている和歌なのだ。ご存じのように在原業平は、六歌仙の一人。そして何より美男で有名で、「伊勢物語」の主人公でもある。
むかし男が姫君を背負って逃げる
「伊勢物語」は、不思議な話だ。そしてわくわくするほどおもしろい。
特に有名なのは、むかし男(業平)が高貴な姫君に懸想し、背中に背負って逃げる話だ。
そうして背中に背負い必死で芥河まで逃げてくると、草の上に梅雨がキラリと光るのが見えた。
「あれはなに?」と姫君。
そんなのも知らない深窓の姫君なのだ。
男は内心苦笑したでしょうか。いや、ますます可愛いと思ったかもしれません・・・・・・。
それはともかく・・・やがて、人気のない蔵があったので、男は蔵の中に姫君をかくまい、入り口で見張りをはじめる。
するといきなり蔵の奥の闇の中から鬼が現れ、たちまち姫を連れ去ってしまう。姫は、「あなや」という声だけ残して消えてしまう。
取り残されたむかし男は、激しく泣く。
と、こういう感じなのだが、なんとも不思議な話だ。姫君の幼さと、鬼に一瞬のうちに略奪される残酷さ。この対比がすごく、恐ろしくも美しい話になっている。
実はこれにはウラの話がある。姫君は入内が決まっていて、兄二人が慌ててあとを追いかけてきて、連れ戻してしまったということのようだ。だから連れ去ったのは、鬼ではなく、姫君の兄たちであった。
それにしても、この悲しみの深さや喪失感はただ事でなく、実際に業平にはこれに近いことがあったのだろう。美男として生きるのもなかなか大変なことだ。
そんな感情の起伏が在原業平の和歌の魅力なのかもしれない。
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを 在原業平
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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