中川大志さんの名演が光る畠山重忠公。終えんの地は横浜市の鶴ヶ峰

畠山重忠公終焉の地にある六ツ塚。写真は鎌倉手帳(寺社散策)からお借りしました

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

今回は、ついに鎌倉殿の13人の中で、一番素敵だと言われる畠山重忠(中川大志さん)が亡くなりました。小四郎(小栗旬さん)のよき友人で、どんな場面でもカリスマ性があって素敵な人でした。

それなのにときどき、冗談とも思えない冗談を言ってふっと笑わせてくれる。そして、早よき相棒となった、和田殿(横田 栄司さん)への最後の冗談は、「腕相撲は、やらないぞ」でした。

こんな重忠との戦いで、小四郎が望んだことは、
「私を大将にしていただけないでしょうか」
このときから、小四郎は友との一騎打ちを頭に描いていたのでしょうね。

清々しい武将~畠山重忠

そして、小四郎軍の一万騎が集結したのは、二俣川(現在もこの地名)の万騎が原。(万騎が原はもともとは牧が原だったが、この戦で1万騎の兵が集結したため万騎が原と言われるようになったという)。そして、重忠が陣をおいたのは鶴ヶ峰。いずれも横浜市旭区で、そこそこ、わが団地から近い。

わたしの知人には、今でも夜など鎧武者が歩いているのを見かけるという人もいる。

小四郎の気持ちをわかっていた重忠は、一騎打ちで自分が有利だったにもかかわらず、
「おまえは、生きよ」
とでもいうように、最後のとどめを刺さなかった。

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黒くなってしまった小四郎を、傍らからいつも清々しい目で見つめていた重忠。そして最後は、名にし負う坂東武者らしく、華々しく散った。
そして、この戦場でみんなを、ふと笑わせてくれたのが和田殿。戦慣れしない泰時に、
「隅っこで見てろ、まずおれを見て学べ」と。けれど、学ぶどころか、和田殿の作戦は、重忠に全部お見通しだった。

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黒くなった小四郎

戦のあと、時政への御家人たちからの反発をそらすため、ほかの者に罪をきせ処罰する。
それを知って、「なぜあんなことを」と小四郎に問いただす政子(小池栄子さん)。
このときの、姉弟の会話がこわい。

小四郎「私がそうするように勧めたのです」
振り向く小四郎の顔に凄みがあった。ゾクッとしましたね。
政子「小四郎、恐ろしい人になりましたね」
小四郎「すべて鎌倉殿に教えていただきました」

じっと小四郎を見つめる政子。このとき、自分が頼朝に出会って以来、弟を引きずり込んでしまった長い道筋を思い浮かべていたのでしょうか。

この姉弟は常に同じ道を歩いてきた。姉は弟で弟は姉だ。そのともに歩んできた道は背筋が凍るほど困難で恐ろしいものだった。そして業の深い道の、奥の奥にはまだたどり着いていない。それがさらに恐ろしい。

若葉台団地のある旭区鶴ヶ峰には、畠山重忠公終焉の地があり、かずかずの遺跡が残されています。

こちらは深谷市にある、馬を背負う重忠公の象

最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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