自然をなくした都会では、子どもが子どもであることを素直に認める感情がうすれているのでしょうか。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

最近よく養老孟司先生のYouTubeを見ています。
養老先生によれば、世界は「感覚でとらえる世界」と「意識でとらえる世界」に分けられるとのこと。

自然が消えた都会では、意識でとらえられる世界が主になり、自然は無視されます。
そして子どもも、自然に属するため、数が減りつつある。
意識でとらえる世界の中では、子どもはやっかいな存在と思われるのです。


昨日は、「生まない権利」があるなら、命には「生まれる権利」もあるのでは・・・ということについて書かせて頂きましたが、命とはなんなのか、実はよくわからない。命は、ちっぽけな人間の判断を超えています。

それにしても、2歳半になった初孫娘ちゃんを見ていると、つくづく思うのです。
小さい体の中にものすごい生命のエネルギーを持っていて、それを小出しにしているように見えて気がつけば昨日の自分をどんどん追い越して成長している。

もう遙か前に成長が終わり、今は老木化しつつある私からみると、その成長のエネルギーはまばゆいばかりです。

子どもの減少は自然(森)の減少と一致

今、子供の数が急速に減り続けています。子どもの減少は、自然(森)の減少と一致しているといいます。
子育て支援や、補助金やいろいろいわれますが、何か根本的なものが欠けている気がします。

私たちは自分たちの生活、そして命と自然について、いま一度真摯に考えてみる必要があるのかもしれません。

少し前、便利さの追求のために、神宮の森の木を1000本も切るというニュースがありました。
また太陽光発電のために、森の数多くの木々が日々伐採されています。
考えてみるとおそろしい。

大人は、子どもから自然をうばい、子どもらしさを奪っていないか日々反省する必要があるでしょう。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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