大河べらぼう。解任され後ろ姿を見せて去って行く定信(井上祐貴さん)の姿が悲しい 「この美しい国を私の命にかけてお守りください」と誓ったあとだけに余計に残酷
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

44回の大河べらぼう、11月ともなると、さすがに残りあと何回かと思い、これからどんな風に展開し大団円を迎えるのかと気になる。
44回には、つらいことが3つ重なった。歌麿の離反、おていさんの早産、そして定信の老中解任です。
松平定信は寛政5年(1793)、老中職を解任されました。テレビでは、定信(井上祐貴さん)は大老を任ぜられると信じ意気揚々と将軍に会うのですが、言われたのは、もう政治からは離れろ、という残酷なひと言。定信は顔色を変えてろくに礼もせずにその場から去ります。
当時36歳、老中就任からわずか6年のことでした。
老中職に就いて以来、幕府の再建を目指し必死に「寛政の改革」に取り組んだ定信。けれどその努力が報いられることはありませんでした。
職場の上司が駄目だと、部下が報いられないという典型的な例ですね。ちょうど定信が、
「この美しい国を夷狄よりお守りください。私の命を捧げて」
と、誓った直後だけに余計に残酷に感じました。
能面のコレクション前で笑み
今回、将軍家斉の小児性と、治済の残虐性をしみじみと味わわされました。治済は能の愛好家だったそうです。
ドラマの中では、沢山の能面を前に、ほくそ笑む治済の姿が描かれました。
ここ不気味でしたね。
これだけ多種の能面を見られる貴重な機会にもなりました。付けた面は治済のお気に入りなのでしょうか。治済は面の後ろにどんな顔を隠したかったのか・・・(__;)
一橋家には、今もこの貴重コレクションが伝わっているのでしょうか。
能が好きで、一橋邸の中に能舞台を作って能を舞わせたりしたのだそうです。きっとご自分でも舞われたのでしょう。こんなに能を愛した治済は、果たして悪人だったのでしょうか。
将軍の父ともなれば権力者なので、次第にその権力を行使したくなるのでしょう。。芸術至上主義者で、悪人という二面性をもつ治済は怖いけれど魅力がある。生田斗真さんはそんなクセのある治済を巧みに演じられています。
定信の解任に関しては、京にも関係するあれこれがあったようです。
以前、京では親孝行な帝が、父を上皇にしたいと願いましたが、
幕府側は、「これまでにそんな前例はない」
とその願いを冷たくはねのけました。
そして、次に、幕府内でも似たようなことが起こりました。
家斉が父治済を「大御所」待遇にしたい、と幕閣に図ったのです。けれど、
「そんな前例はありません」
と突っぱねたのが、松平定信です。
これを家斉・治済親子は深く恨んでいたようです。
その結果、あれほど「寛政の改革」に打ち込んだ定信はあっさりと、みなの前で解任されてしまいました。
以前、定信自身が田沼意次の追い落としをしたことを考えれば、つくづく人の運命の残酷さを感じます。そして、男性の権力闘争はほんとうにコワい・・・(__;)
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。









