「神から選ばれた自分こそがそれを実現せねばならないという使命感が、彼らの声を燃えたたせてくるのだ」塩野七生「神の代理人」。あの方の気持ちはこうなの?
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。


塩野七生著「神の代理人」という本を読んでいます。
なぜ15世紀になって十字軍再び
そこに「最後の十字軍」という話があり、プロローグにこのような言葉が入っています。
「過度の禁欲は、しばしば狂信の温床となる。・・・・・・彼らは、その欲することをことごとく正義と信じ、その信じることをことごとく神の啓示として現実に見るようになる。そして、神から選ばれた自分こそがそれを実現せねばならないという使命感が、彼らの声を燃えたたせてくるのだ」
と、ここまで読んで、ある方のことを思い浮かべました。
それは今、やめるやめないで、ずっーと引きずっている方のことです。
選挙で3連敗したにもかかわらず、決して総理を降りようとはせず、しかも戦後80年談話を出そうという意欲に燃えてらっしゃるあの方のことです。
今更、蒸し返しになる、そんなのはやめてほしい、それより自分の身の処し方を・・・?と大多数の人は思うけれど、なぜか言葉はとどかない。
なぜだろう、なぜそれほどの信念? と不思議でしたが、さっきの言葉を読んで、ああ、そういうことかと納得しました。
きっと、あのように、神から選ばれた自分が80年談話を出さなければ・・・と使命感に燃えているのでしょう。
心が使命感でいっぱい?
だからわたしたちがいくら、80年談話やめてください、それは良くないです、とお願いしても、この方にとっては、なんとしてもやりとげねがならぬ、神にたくされた使命なのです。
そういう時に、まわりにできることなどありません。
せいぜい近しい人が、手を取って、そっと別の場所に移させてあげることでしょう。本人が気づかないくらい上手に。けれど今日本には、笑顔でことをはこべるそんな巧みな政治家はいません。
また、だれも損な役割を果たそうとしません。
だから、わたしたち一般市民には、何もなすすべがないのです。ただ気を揉むだけ?
というか、選挙ですでに意思は示しているのですが、「神から選ばれた人」には、何も耳に入りません。
わたしたちが願うことって、ただ、
子や孫の世代が、これからも謝ったり、小さくなったり、おどおどしたりせずに、正々堂々と生きていってほしい・・・と、ただそれだけなのですが。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。