話せば話すほど、説明しようとすればするほど話が噛み合わず困ってしまうことがある。それは多分、関心を向けている部分が違うのでしょう。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。


だれかと会話していて、どうしても話が噛み合わないなと思うことがありませんか。それは多分話題に関して注意を向けている部分が違うのだと思います。

だから話せば話すほど、詳しく説明しようとすればするほど話が噛み合わず困ってしまうのです。たぶん相手もうんざりしてるんだろうなあ、と思いつつ。

人と人とは、外見は似ていても考えていることは随分違ったりします。そして残念なことに、人の考えを完全に理解することはできないし、理解してもらうこともできない。


人は、ただひとり天と地との間に立っているもの。そして悩みも、喜びも、苦しみも、幸せもその腕の中にひっそり抱え込んでいるものなのでしょう。

余談ですが、私は子供の頃から不器用で、それがコンプレックスでした。

親戚が多かったので、叔母たちと接することも多く、一緒に手芸をしたりお手玉をしたり。そんなとき姉はなんでも上手にできるのに、私は下手でのろまで同じことができません。

「○○ちゃんは、ぶきっちょね」

励ますつもりで言ってくれるその言葉に、随分傷つきました。

それからもできないことが多くて、まりつきはできない、お手玉はできない。学校の休み時間にも1人でいることも結構多かったのです。だから小さいうちから孤独とか、ひとり、とかそんなことをよく考えるようになりました。

高校の修学旅行で奈良に行った際、法隆寺の百済観音を拝観しました。
すくっと立っていらっしゃる、その流麗なお姿を見たときにはずいぶん驚きました。孤高の美しい姿でした。仏像を見て感動したのは初めてです。

そして今思うに、人もただ1人、

天の下にひとり立っている

そんなものなのだとわかります。そう思えば、生き方もずいぶん変わってきます。

人との間で悩んだり、頭にくることがあっても、観音様のあの姿を思い出せば自然に気持ちが落ち着いてきます。天の下にすくっと立って微笑んでいる自分。そんな自分を想像すればいい。きっと小さな悩みなどスッーと、どこかへ消えてなくなります。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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