鎌倉殿の13人。怯える義経の顔を見るのがつらい。唯一の安らぎはやはり八重

DSC_1523

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

先週は、鎌倉入りを許されず、京に戻って悲嘆にくれる義経(菅田将暉さん)を描いていた。
義時(小栗旬さん)は、頼朝と義経の間を関係修復しようとするがムダに終わっている

そして歴史の表面には見えてこないが、奥底で動いていたのはやはり、細やかな人々の感情だったりする。
頼朝はなぜ急に弟に怒ったのか。
義経なぜ兄の気持ちをおもんばかり、慎重に行動しなかったのか。

怒りは、恐れから出てくる、という言葉がある。義経の目もくらむような戦果を前に、頼朝は弟を恐れ、これ以上のライバルはいないと思ったのかもしれない。
義経の方はいまだ戦の興奮から冷めやらず。京にもどれば回りからちやほや。

さもありなんだ。まだ20歳そこそこの若者なのだから。
そんな自分をなぜ兄はほめないのだろう。本来ならいっしょに手を取り合って平家滅亡を喜びあいたかったはずだ。それこそ、彼ら兄弟の悲願だったはずなのだから。

そして、兄弟を振り回す後白河法皇の存在。

DSC_1531


弟を可愛く思い、戦場で戦ってくれる弟に感謝する気持ちとは別に、徐々に芽生えてくる嫉妬心、焦り、地位を脅かされそうな恐怖。

鎌倉殿の13人は人と人とが争いになってしまう過程を、心の弱さや葛藤、恐れなどの面からイヤというほど見せてくれるドラマなのだと思う。

多くの時代劇と違って、それぞれの人を、屈折する感情をもつ生きた人間として描いている、それがこの三谷脚本の凄いところだと思う。

DSC_1515

そして、最初はとんでもない若者として登場した義経は、若さゆえに突っ走っていたが、
戦の中で本領を発揮し、自信をつけ、成長していった。

このあとで時間があたえられれば、人間的にも成長し、頼朝の片腕として鎌倉幕府をささえたかもしれないのだ。
けれどその矢先に、兄の冷たい仕打ちに遭い、人生が塞がれてしまう。悲惨としかいいようがない。これは実は、頼朝の悲劇であり、ひいては源氏一門の悲劇でもあった。
清盛が平家の一門を引き上げ、70人も殿上人にしたのとは対照的だ。

私の何がいけなかったのだ

九郎の、「私の何がいけなかったのか」という叫びに、
「九郎殿はまっすぐすぎたのです」と応える義時。
これはほめ言葉ではない。

「愚かでナイーブすぎた」ということだ。そういうのが精一杯。
義時はまだ青年時のやさしさを残しているから。

DSC_1536

みんなの救いはやはり八重姫

悩み多い頼朝は、ふわふわと風に吹かれるように八重(新垣結衣さん)のもとを訪れる。
温かい日だまりのような八重。

けれどその日に頼朝が聞かされたのは、思いもよらない言葉だった。
「説教か、いやみのほかにいえる言葉はありません。・・・子どもだって仲なおりします」

突き放すようなこの言葉も、元夫に対する愛といえなくもない。頼朝がどういう人間なのか八重にはわかっているのだ。何しろ天女だから。(笑

史実では頼朝は冷たい人間といわれるが、親兄弟と引き離されて成長したため、肉親への愛を、どう表現していいかわからないのかもしれない。不器用な人間なのだ。
しかも回りが、諫言好きの大江広元や梶山景時ときている。(笑
 いや、決して二人の有能さを否定するものではありません・・・汗

DSC_1526

そんな頼朝に説教する八重。いま、そんなことができるのは・・・心がまっすぐな八重だけだ。
戦つづきの殺伐とした中、八重の登場するシーンだけが心温まる場面になった。
  (願わくは、夫の義時が、頼朝のようにダークサイドに引き込まれませんように・・・)

先週私は、八重は天女だと断定したが、今回、ますますその感を強くしている。
気高さと正義感、周りの人々への深い愛。
三谷さんが八重に託したものが分かる気がする。

ついつい義高のことを口にしてしまう頼朝。
八重のあっと言う顔で振り返れば、そこには大姫がいた。
一番傷つけてはいけない者を傷つけてしまう。それが頼朝の宿命なのだ。

義経討伐を決めてしまったことで、新たな火種ができてしまった鎌倉。
この憎しみが、鎌倉の地全土を覆いつくさなければよいが・・・。

DSC_1523

それにしても、八重のこの横顔が美しい。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です