千日劇場の辺り ―奇妙な案内人〈8〉
隣の展示室には、硝子のショーケースがなく、壁に藤原定家筆の小倉色紙などが並んでいた。その先に能面がいくつか展示されていた。
中央に鼻曲がり中将の面があった。中心からずれた鼻をした歪んだ美男の面である。正面から見ると、どこか寒々しいような哀感のある、けれど決して見るのをやめさせない不思議な魅力のある顔だ。美佐江は前に立つと動くことができなくなった。千年前の霊がふわりと目の前に舞い降りてきたようだ。
また、その面は老人のようでもあった。美男の顔なのに、老人に見えるとはどういうことだろう。その面を見たあとでは、若さというものが美しいとは思えなくなる。濁った皮膚や、年月をへた疲れや、退廃や、唾棄すべきほどのものを見続けたことで、しょぼしょぼと濁った目や、奥におさめきれないほどの哀しみを宿したような顔であった。
少し離れて若い女の面があった。どきりとした。女の顔がそのまま置かれているように一瞬見えたからだ。瑞々しいくらいの美貌だ。口もとに淡い笑みを浮かべている。色艶が表情の隅々にまで漲って春の花のようだ。
そのとき唇の横に何かの跡が血痕のように付着しているのに気が付いた。プレートの解説では、作者の孫次郎は少し前に亡くなった妻の顔を思い出しながらその面を彫ったのだという。ということは、死んだ妻の面差しがほとんどそのまま現れていると思っていいのだろう。顔の造作、表情までも、その面影をひとつひとつ思い描きながらノミで刻んでいったのだろう。
そういえばいつか正木さんはいった。
「妻が亡くなったのは三十半ばの時でした。僕より十二歳も年下でしたからね。残酷ですよ、初老の男に幼い娘一人を残して」
正木さん、いや、孫次郎の気持ちはどんなだったろう。深夜など狂おしい気持ちに捕らわれたりはしなかったか。彫り上がった直後、面はきっと初々しい若妻の匂い立つような美しさだったろう。面は何百年ものときを経て、今やどこか恨みがましい様子さえ見せてそこに掛かっている。少し前を歩いていた正木さんは、どんな気持ちで孫次郎の面を眺めたのだろう。
ふと後ろで声がして振り向くと正木さんである案内人が、宮廷女性の貝合わせの道具の前でまたもや数人の女たちに取り囲まれていた。すると背中のほうからブレザーのようなものを着た今度は若い職員のような女が近づいていくのが見えた。








