ツグミ団地の人々〈苦い水 8〉
「あなたも? とてもそんな風には見えないわ」
美佐子は、タカ子の健康そうな身体にちらりと一瞥をくれた。それは老齢に差しかかった女が若い女性に向けるジロジロと遠慮のない、そして何かを諦めたような視線だった。
タカ子は動じない。というより、自分に絶対の自信を持っているから見られることなんてなんとも思っていない。美佐子は諦めたように下を向いて流しに溜まった白い陶器のカップや皿を洗い始めた。
タカ子は珍しく注文したレモンスカッシュのストローを口に含みながら、二人の老人たちのほうに身体を向けた。
そして目のあった平八のほうにあでやかな笑顔を向けると、組んでいた脚を一度伸ばし、もう一度組み直した。太もものかなり上の方までスカートがめくれあがる。平八があわててタカ子から目を逸らすと、テーブルの上のまだ口を付けてなかったコップから水を一口飲んだ。
そして、コップをテーブルに戻すと顔をしかめて言った。
「苦いな。苦い水だ」
仲が悪いのに、なぜかさっきから向かいの席に陣取っている皆川が馬鹿にしたように言った。
美佐子が驚いてそちらを見る。
「水、苦いですか。ミネラルウォーターなんですよ。それともなんか入ってたかしら」
「いや・・・・・・おかしいな」
「おいおい、ご隠居さん、ママさんが心配してるだろう」
「きっと、口の中のせいだろう」
平八は落ち着いたものだ。
「そういえば、あたしのおじいちゃんがよく、言ってた。病気になると水が変な味がするって」
「コラ、心配させるようなこと言わないの」
美佐子は年長の女のいさめる口調になっている。
平八はまだ、テーブルの上のコップに入った水を放心したように見つめている。
「おいおい、ご隠居さん、ついにヤキが回ったみたいだな。だから、あんたみたいな年寄りは、こんなところに来ないで、家でじっとしてりゃあいいんだよ」
平八は無言である。
「彼女に電話なんかしてないで。さあ、さっさと帰った、帰った。今もそちらのお嬢さんに色目を使ってただろう」
腕をつかんで立たせようとした。平八が激しくその手を振り払った。その途端に、ひょろひょろと倒れてしまったのは平八のほうだった。
机の角に激しく額をぶつけた。
きゃあ。タカ子が叫び、美佐子はあわててカウンターから飛び出すと平八を助けおこしいすに座らせた。額の上の髪の生え際のあたりが赤く腫れ微かに血が滲んでいる。
「待ってくださいね。マキロンを持ってきます」
「だいじょうぶ、なんともない」
「なんともないことないですよ」
「これしきのこと」
そして、また、コップの水を一口飲んで言った。
「苦いですか」
タカ子がそっと聞いた。
「いや、生ぬるい血の味がする」
「おい、今度は血の味だって。いい加減にしろよ」
皆川が堪らなくなったように叫んだ。