「教育費2000万円をかけた息子が30歳になっても無職」/今はあまり珍しくないかもしれない
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
現代ビジネス でこんな記事を目にしました。
〈「教育費2000万円をかけた息子」が30才になっても無職、親は「60代からパート」に…「高学歴難民」を支える家族の葛藤〉阿部 恭子
この息子さんは、幼稚園から大学まで私立に通い、塾代などを含めると、大学卒業まで教育費が2000万円を超えています。大学修了後、就職するかと思っていたけれど大学院に進み、もうすぐ30歳ですが働く様子はないそうです。
また、ストレスで鬱になり、精神科に通っていたこともあるとのこと。生活のためにお母さんは、60代でパートの仕事を始められたそう。
「お金を稼ぐことの難しさとか、大変さとか、もっと早く子どもたちに教えてあげられていたら」
とお母さんは後悔しています。
「息子は学ぶ意欲はあるのですが、働く意欲はないんです」
お母さんのこの言葉が心に残りました。
この息子さんのような例は今、決して少なくないかも知れません。
初出社で暗澹たる気持ちに
私自身のことですが、大学を卒業して4月に初めて出社した日のことを覚えています。前日の入社式では、会社からお祝いのケーキをいただいて帰ってきましたが、気持ちはまったく晴れませんでした。
これから毎日、8時半~5時まで会社に拘束される生活が始まるのかと思うと暗澹たる気持ちになったのです。学生の時はあれほど自由だったのに。これではまるで毎日拘束される囚人のようではないかと・・・。
ルーチン仕事をこなす
好きなことを仕事にできればこんな幸せはないでしょうが、大多数の人はそうではありません。その現実を受け入れられるかどうかでしょう。
日々のルーチン仕事を辛抱強くこなしていく。それが生きていくひとつの側面でもあります。
一寸ひんしゅくを買うかも知れませんが、人間の幸福は、日々のルーチン仕事をこなし、そこそこの年齢で結婚し子を育てる。案外そんな普通のところにあるような気がします。
細部の中に神が宿る
例えば小川洋子さんの小説の中の人物は、日々のルーチン仕事を丁寧にこなしていきます。飽きずに毎日毎日繰り返します。丁寧に掃除をし、埃をはらい、毎日決まったように卵サンドイッチを作ります。
そういう日々のルーチン仕事の中に、神聖なものがあり神が宿っているとでもいうように。
仕事をすることは大きなことではなく、日々細部を積み重ねていくこと。それによっていつか自分にとって大切な目標に到達することなのでしょう。
自分を大事に思い、自己実現を重視し、精神性を大事にするという生き方の人には、そんな生活は認めたくないかもしれません。
けれど人って自分のためでなく周りの人のために生きようと考えると、初めて生活が回り幸せになれるような気がします。
仕事も子育ても同じ
子育ても仕事と同じで毎日の積み重ねです。しかも全く自分の思いどおりにはなりません。絶望することもあります。それでも、こんな幸せなことはないと思えるほどの幸福感に包まれることもあります。
楽しみと苦しみが同居しているような気がします。つまり仕事も子育ても人生そのものなのでしょう。
そんな葛藤の中で自分も成長し、社会ひいては将来に繋がっていけるような気がします。
この息子さんが一刻も早くご自分に合った仕事に就き、社会と繋がって生きていく道を選んでくださるのを願ってやみません。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。