「暗夜行路」(志賀直哉)の中に救いはあるのでしょうか
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
志賀直哉の「暗夜行路」について。
この小説について、書かれているのは、特に高尚なこととか、魂の高みにつれていってやる、などということではないような気がします。一人の人間として、淡々と行き場のない気持ちのまま、魂が救われるのを願って歩んでいく過程。それが暗夜行路ということなのでしょうか。
まずこの題名によって、小説の価値が決まっているように思えます。私たち日本人は魂の救済が好きなので、そのために暗い道を進んでいく、その過程を書いていく小説に共鳴せざるを得ません。
特に白樺派の小説家というのは、武者小路実篤にしろ、皆さん、高尚で、貴族的で、インテリで・・・と思うのですが、この小説はある意味それを裏切っているというか。本当は、小説の神様の作品として、仰ぎ見るようにこの小説を読まなくても良いのかも知れません。
また女性を見る目もなんだろう、不思議だなあ、と思うことがあります。例えば前半で次々と関心を抱く女性たちについても、そのどこに惹かれるのか一向にわかりません。ただ遊んでいる芸者の○○が気になっていて、いつのまにか好きになっていたという、今の女性にとって少々唖然とする展開なのです。
また、従兄弟との結婚を望みますが、周囲から暗に拒絶されます。
実は根本にあるのは主人公が母と祖父との間の不義の子だったという事実。この宿命、苦悩によって彼は、暗い道を行かなければならなかったわけで、それが小説の命題にもなっています。
これは、「源氏物語」の底に流れているふたつの不倫の話を踏襲したような形です。光源氏も父帝も表面は「禁断の恋」に気づかぬ風に淡々と物語が展開していきますが、内に秘めただけにその苦悩、苦しみといったら大変なものでしょう。そして源氏物語には救済が描かれません。
暗夜行路では最後、山登りの最中に身体を壊して山に一人取り残され、そのなかで自然と一体感を得るような描写があり魂の救済を感じさせます。のちに病床の中、妻の手を握るというところも明るく、これからの希望を感じさせる場面となります。それはなぜか、私には永遠に解けない謎です。結局(身勝手な男性にとっても)女性は救いになるのか。
源氏には、そして父帝にも救いはありませんでした。ただただ暗い御簾の奥に座って耐えるしかなかったのです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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