べらぼう第39回「白川の清きに魚も住みかねて」お白洲の上でも滔々とまくしたてる蔦重にたまりかねた、おてい(橋本愛)さんのきついお仕置きが・・・!

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べらぼう39回「白河の清きに住みかね身上半減」
歌麿(染谷将太さん)は、どうなることかと思いましたが、蔦重のお母さん、つよ(高岡早紀さん)の愛によって救われました。つくってくれたおむすびをほおばる姿にホッとしました。

憔悴しつつも歌麿はきよ(藤間爽子さん)の絵を、夢中で描きつづけていました。それが亡くなった妻への愛情の深さなのでしょう。
書き散らかしたような、沢山の絵を見つめ考え込む蔦重。中には「ビードロを吹く女」の原型のような絵も。そこに後ほど大人気となる、大首絵へのヒントがあるのでしょう。

ところで、寛政3年、蔦重(横浜流星さん)の依頼のもと耕書堂から出された、京伝の洒落本三部作がすべて発禁処分になります。

歌麿は、どうなることかと思いましたが、蔦重のお母さん、つよさんの愛によって救われました。つくってくれたおむすびをほおばる姿にホッとしました。
憔悴の中で、歌麿はきよさんの絵を描きつづけていました。そのスケッチのような絵を見つめ考え込む蔦重。「ビードロを吹く女」の原型のような絵もありましたね。そこから、大人気となった、大首絵のヒントを得たのでしょうか。

ところで、寛政3年、蔦重のもとから出された京伝の洒落本三部作、これがすべて発禁処分となります。

「身上半減」「手鎖五十日」

さらには蔦重も京伝も、伝馬町の牢屋敷に入れられ取り調べを受けることに。
その結果、蔦重は「身上半減」、京伝は「手鎖五十日」の刑にせられます。京伝は「手鎖五十日」がよくよく堪えたと見えて、その後しばらく書くのをやめて、現在の銀座3丁目のあたりに烟草屋を開業していました。

京伝はご存じのように絵の才能もあるので、自身がデザインしたたばこ入れを添えるなどして、店もだいぶ繁盛していたようです。京伝は、もともと日本橋の裕福な質屋の息子さんなので商才もあったのでしょうか。

蔦重は財産半分持って行かれたものの、その後も版元として北斎や、写楽、十返舎一九などの作品を世に出し続けていきます。

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おてい(橋本愛さん)のように、蔦重の命乞いをする賢い妻がいたかどうかはともかく、その後も版元として出版を続けられたのは、日本橋の同業者組合の皆さんとの支え合いが大きかったのかも知れません。
だから鶴屋(風間俊介さん)が、調子に乗る蔦重を、

「そういうところだぞ!」
と、諫めるのももっともで、蔦重も思うところあったでしょう。

こんなつらい経験の後、版元として蔦重がどう変わっていくか、それも次回からのお楽しみになりそうです。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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