六条御息所ほどの高貴な女性が年下の源氏を愛したことで、ついに生き霊にまでなってしまう。なぜなのでしょう。作者、紫式部の意地悪ささえ感じてしまいます
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
能の「葵の上」では、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が主人公です。
能では、よく亡くなった人の執着や思いを舞台に乗せて、それをなだめる形をとっていますが、六条御息所ほどその趣意にぴったりの人はいないでしょう。
つまりこの女人ほど能の登場人物にふさわしい人はいないのです。「葵」というのに、葵の上は床に置かれた着物で表現されるのみ。主はあくまで、着物の上に表現される憎しみや執着なのです。
もともと、どうもしっくりしないのですが、若き源氏(多分出会った頃は17歳くらい)が、なぜこの人とつき合うようになったのか、ということです。
最初にでてくるのは、「夕顔」の中に、六条あたりに住む女性という形で登場します。ということは、この時点で源氏は、おとなしく可憐でまるで遊女のようにとりとめのない夕顔に激しくひかれています。青春の恋そのものです。
一方、六条御息所は、左大臣の娘で亡き東宮の未亡人という高貴な身分の女性です。きっと、源氏にとって憧れだったのでしょう。よく映画の青春もの中などにある年上の女性への恋ですね。
だから女性の高貴な身分や、趣味の良さ、サロンを作れるほどの教養の高さ、そんなもの全部に惹かれたんだと思います。その人の背景ではなく中身を・・・とよくいわれますが、背景も外も中も全部を含めてその人の魅力でしょう。
いっぽう源氏は、夕顔のような、はかなげな女性に夢中になっているわけで、これも実は、夕顔の花が垣根に絡まるような家に住む謎の女性という神秘性も魅力なのです。
源氏は、いろいろな女性に惹かれる青春まっただ中。六条御息所にとっては本気の恋になっていました。知的な女性なので、余裕をもって「年下の男の子」とつき合っていたはずが、いつか夢中になってしまっていたのです。
正妻葵の上との車争いは、コントロールできるという自信がもろくも崩れ去った瞬間だったかも知れません。
もともとプライドの高い方です。葵への憎しみと、車争いとでもう平常心をなくし、心は人間世界から離れ生き霊となって空を飛び、葵に取り憑かなければ済まなかったのでしょう。
なんという辱め。
あえていえば、六条御息所ほどの高貴な女性に、このような辱めを受けさせた紫式部に底意地の悪ささえ、感じてしまうのです。
空蝉や明石の君など受領階級の女性には、品の良さや心ばえの美しさという属性をあたえ、高貴な女性にこの対応。
やはりそうなのかな・・・とは思いますが、こんな意地悪さ(__;)くらいもっていなければ、とてもとても同時代最高のあんな長編小説は書けなかったでしょう。
優しさ、意地悪さ、無情、孤独感そんなすべてをもった女性作家が紫式部なのでしょう。そして、六条御息所も、明石の君も、空蝉も、紫の上もみんな作家自身だったのでしょう。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
コメントを残す