ツグミ団地の人々 〈小鳥が逃げた 11〉

 化粧してウェディングドレスを着た奈々は美しかった。鏡の中に奈々の晴れやかな顔が映っていて美佐子をうれしい気持ちにさせた。つんと尖った鼻、ピンク色の唇が愛らしかった。
「綺麗ねえ」
 母親はため息まじりにいった。

「やっぱり来てない?」
「そうね。返事が来なかったでしょう。最初から来る気なかったのよ」
 茂夫と離婚したのは奈々が八歳の時だった。もちろん、逃げたインコが原因などではない。諍いをするのを子供に見せるよりは・・・・・・いっそ、などそんな優等生的な理由ではない。茂夫も美佐子ももっと俗物で癇癪持ちで、相手がイヤだと思ったらそれをがまんして徐々に仲間意識にもっていけるほどの大人でもなかったのだ。


 そして、ベランダに置いた鳥かごの中ではツガイの片割れがいつも落ち着かなげに鳥かごの中を右往左往し、柵の間に足をひっかけて時折鋭い声で鳴いた。その声をきく度、茂夫の顔はゆがみ、ある日カゴの口を開けると無理矢理小鳥を外に出して両手にかかえ、手を離した。小鳥はばたばたとぶざまに羽根を広げてかろうじて飛んでいった。
 

 茂夫がある日、気に入りの赤いチェックの上着を気って車に乗って家を出たのはその数日後のことで、それ以来、夫は二度度と、ツグミ団地にムードってくることはなかった。そうだ。奈々がいつか話していた洞窟に生きていた人々。火をたいて孤独に暮らしわずかな明かりを頼りに石の壁に鹿の絵を彫った人々。

 夕食を作る合間にキッチンの横から外をのぞけば洞窟ではなく巨大な建物の奥にちらちら輝いている灯が洞窟住民のものよいrも明るいのかどうか美佐子にはわからなかった。母子ふたりの生活はそれなりに充実し、楽しい想い出もたくさんつくってやったつもりだが、奈々が八歳のときを皮切りにアルバムから父親の写真が消えたのは確かだ。

「お父さん、もうあたしのことなんて忘れてしまったのね」
唇を噛みながら鏡の中の奈々が言った。

「知らず知らずのうち気持ちが変わってしまうこもあるのよ。家に居たころのあの人はいつもあんたを離さなかったものよ」
「そうだったかしら」
「それに晴れがましい席が大好きだったから、どんなにか式に出たいと思っているでしょう」

 あの赤いチェックの上着を着てね・・・・・・とちらっとは思ったが、そしてすぐに、あたしはなんて意地悪なのだろう、と美佐子は思った。

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