太宰治や「芸術とは爆発だ!」の岡本太郎のような狂気に近い天才ではなく、今は良識ある天才の時代。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています 。

「朝日新聞」で、「斎藤環さんがみた『狂気なき天才』の時代 自分探しの終焉と承認欲求」という記事を見ました。
聞き手・細見卓司さん(2024年1月7日)
いまの時代野球の大谷翔平や、将棋の藤井将太八段のように天才と呼ばれる日本人がいます。ほんとうに常人では達成できない記録をつくりつづけています。そして、彼らは一般人としても良識・常識を持ち合わせた誰にでも愛される人々です。
かつて、ゴッホやピカソ、「芸術とは爆発だ!」と叫んだ岡本太郎のような狂気と紙一重のものは感じられません。もちろん分野はちがうにしろ、かつて長嶋茂雄が愛されたユニークな行動などでも注目されることはありません。
精神科医で批評家の斎藤環さんは、「天才が持っているダークサイドに今や人々が興味を失っている」と分析しているそうです。
芸術とは爆発の岡本太郎
いまの若い人々は、みんなそうなのでしょうか。
「太陽の塔」が出現したとき、わたしたちはある意味、その奇矯な姿に驚きました。
けれど、天才芸術家・岡本太郎の作品なのだからきっと素晴らしいのだろう、分からない自分が悪いのだ。そう思って、塔に愛着を持つようになりました。
つまり、「芸術とは爆発だ!」。天才とは、強さと、驚きなのだ。そう思って納得したのでした。太陽の塔以来、日本人のアートを見る目は随分変わったと思います。
ところで、以前、蔦屋重三郎に関心をもっていたことから、NHKの大河「べらぼう」を視聴しています。江戸時代の戯作者や絵師のたくさん出てくる中で、思った通りかなと思うひとと、そうでないというひとがいます。
北斎の陰鬱な自画像
一番驚いたのは、葛飾北斎です。たぶん自画像のような自身で描いた絵に合わせたのでしょう。まあ、変人の要素もたぶんにもっていたようなので、おもしろいひと、となったのでしょうか。
今の時代は、変人=おもしろい人 のようなイメージがありますが、天才は狂気と紙一重といわれるように、本人にとっては、大変な重荷でもあるので、おもしろいというひとことではかたづけられないものがある、と思ったりしています。
どこかにひどく陰鬱なものをかかえているのでしょう。
そして今の時代、人格的にすぐれた天才や愛される天才だけでなく、少々憎まれたり問題ありの天才もいてもいいのではないかと思います。太宰治などは後者だと思いますので。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。











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