「べらぼう」 『鸚鵡返文武二道』で定信の怒りをかい自死した恋川春町。井上ひさしの「京伝店の烟草入れ」には春町の妻のその後も
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「べらぼう」36回で、出頭を命じられたけれど、それに応じず、家で自死した恋川春町が描かれていました。
その少し前に、喜三二は自ら筆を折っていて、おとがめは藩からの厳重注意のみ。けれど震え上がるには十分でした。
そんな「文武二道万石通」で危ない橋を渡った喜三二は、春町がその続編のような「鸚鵡返文武二道」を書いたことをさぞ心配したでしょう。
松平定信は、「鸚鵡言」(おうむのことば)という、教訓書を書いていたので自分への皮肉、当てつけだとすぐにわかったのです。

下谷~小石川を何往復も
二人は、武士同士と言うこともあって、喜三二の住む下谷から、春町の住む小石川まで年中、往復し合うほどの仲の良さだったとか。
そして定信の寛政の改革の中、春町は自死し、喜三二がうまく身をかわしたように見えたことで、当時の人は、
「喜三二さん冷たい。春町とあんなに仲が良かったのに」
と思わぬこともなかったかもしれません。
そんな中、喜三二は何を思っていたでしょうか。悲しさか、やましさとかそんなものも胸を去来したでしょうか。
春町の妻のその後

この「京伝店の烟草入れ」(井上ひさし)には、「戯作者銘々伝」という項目がありますが、ここでは一人ひとりの戯作者を取り上げていて興味深いです。
「恋川春町」の項では、春町の妻、お園さんが家を出されて苦労する様子が描かれています。
お園さんが、貧乏で生活に困り、どうしようと思っていると、たまたま金を拾ったり、押し込みに入った強盗が5両をおっことして逃げていくというストーリーです。
なんとヘマなドロボウ!
こんな偶然の幸運を、お園さんは亡くなった春町が見守ってくれているからと思います。
けれど、実はみんな喜三二が春町の妻の身を心配し、人を雇ってやらせていたことでした。
そして、時と場面は、春町が亡くなった7月7日、内藤新宿北浦町の成各自覚寺にある春町の墓の前です。喜三二と春町は「若道」を疑われるほどの仲でした。そして、自分は助かったという負い目もあり、春町の妻を決して不幸にしてはならぬ、と思っていたのでしょう。
蔦重を囲む、戯作者たちの間には、強い繋がりや、思いやり、心の優しさがあったのでしょう。
その後も、武士として立派に生きた喜三二は、井上ひさしの小説のように、終生春町に負い目を持ち続けていたのかも知れません。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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